一歳半検診で要観察と言われていたけど、受け止められなかった私

ぽにお

ねこみです。

ASD(自閉症スペクトラム)の長男ぽにお3歳の時に初めての発達検査を受け、「実年齢の半分の発達」という医師の言葉に打ちひしがれた私(前回の話はこちら)。

妊娠中の出来事を思い返しては「薄着で体を冷やしたから…?」「ごはんがあまり食べられなかったから…?」等と自分を責め、鬼のようにネット検索を繰り返したり、お酒に逃げて現実逃避する日々。

当時の私は知りませんが、今にして思えば障害受容における「否認期」と「混乱期」の真っただ中でした。

この記事は前の記事に引き続き、お子さんの発達が気になっている方やこれからお子さんが検査を受ける方。すでに受けて、結果にショックを受けている方に届いてくれるといいなと思って書きます。

思い出される、1歳半健診

実は、ぽにおは1歳半検診で「要観察」と言われていました。

指さしをしなかったり、積み木を積めなかったからです。

私はその時保健師さんに言いました。「今日は眠たくてコンディションが悪いから。いつもはやります。」と。

保健師さんからは「ではもう少し様子を見ましょう」と言われ、2歳になったころに電話での聞き取りを受けることとなりました。そして2歳になり、かかってきた電話で私は「本人なりに成長している」と答えています。

3歳が近くなると、逆さバイバイやクレーン現象など、自閉症児に多い特徴的な行動がみられるようになりました。

それでも私は「大丈夫、大丈夫」と、延命していたのです。

ネット検索に明け暮れる

けれど、3歳での発達検査の結果は、もう私に言い訳を許してはくれませんでした。

私と同じような経験をしているママさん、「発達障害 治る」って検索しませんでしたか?

私は何度もしました。

スマホを握りしめ眉間にシワを寄せて、ネットの中に救いを求めた日々。お酒の量も増え、私はひどく荒んでいました。

気が付けばぽにおそっちのけで、現実逃避をしていたのだと気が付きました。

笑顔の母でいたかったのに

私の母はいつもピリピリしている人でした。

その母を反面教師にして、「いつも笑顔のお母さんになろう」と私は子供のころから決めていました(私の「幼児決断」の話はまた追々…)。

でもきっとその時の私は、私が一番なりたくない母親の姿だったと思います。

これじゃいけない。私は「笑顔を選ぶ」んだ。

ここから、私は少しずつ立ち直っていくことができました。

 

 

次回、暗黒の混乱期から抜け出して、希望と決意を見つけるまではこちら

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