小さな希望の光、そして決意

ぽにお

ねこみです。

長男ぽにおはASD(自閉症スペクトラム)です。ぽにおの初めての発達検査のあと、どん底(障害受容における「否認期」と「混乱期」)を乗り越えて、私は前を向き始めます。(前回の話はこちら

この記事は、お子さんが発達障害の診断を受けたり検査を勧められたりして、あの時の私と同じ気持ちのママさんに読んでほしいと思って書きます。

0歳のころからの理解力

今までのぽにおの成長を思い返してみると確かに自閉症児の特徴的な行動がありましたが、それと同じくらい、私の話を理解していると感じられる出来事もありました。

それはぽにおが8か月、はいはいが上手になった頃のこと。

何気なく「お散歩に行こうね」と声をかけたら、玄関にちょこんと座って、そのままお昼寝もしないで待ち続けてしまったことがありました。

「0歳って言葉がわかってるんだ」と、驚いたのを覚えています。

3歳ごろには歩道を歩くことや信号のルールを理解して、決して道路には飛び出さない子供でした。また、大好きな回るもの「扇風機」「室外機」「換気扇」を覚えると間違えず、まだ言葉がとてもたどたどしいのに、この3つだけはとてもハッキリと発音することも印象的な出来事でした。

小さな希望を信じて

私は、ぽにお理解力を信じることにしました。

「この子は理解している。ただ、それを”出力”することが苦手なだけなんだ。」

「大好きなものについて喋ること(=出力)はできるから、もっと大好きを増やそう!」

それが私の行きついた答え。この考えを柱にして、私の療育が幕を開けました。

繊細ママ、療育に奮闘

それからは、療育センターのグループワークや児童発達支援事業所の助けを借りながら、できるだけぽにおの「出力」をサポートしてきました。

言葉を発した時にはなるべく手を止めて耳を傾けましたし、仕事の合間を縫っていろいろな場所に足を運び、たくさんの体験をさせるようにしました。

すると、科学館で惑星に興味を示したのです。「鉄は熱いうちに打て」と、私の脳裏に祖母の口癖のこの言葉が浮かび、即、図鑑を購入。ぽにおは付録のDVDを夢中で繰り返し見ていました。他にも、ぽにおの大好きは少しずつ増えていきました。

もちろん、すべてが順調に進んだわけではありません。

児童発達支援事業で行ったサッカー教室は「いかない!」と座り込んで拒否。あきらめました。

また、初めての公園(結構遠いところ)に連れて行った時も、ちゃんと説明していなかったから見通しが立たずパニックに。「ここ、ちがう!」と言うので、結局いつもの公園に行って遊ぶことになったり。

けれど、ぽにおの小さな「理解」や「好き」が見えるたびに、私の中に少しずつ希望が芽生えていったのです。

小さな希望が積み重なって

そうやって過ごした時間が、やがて大きな変化へとつながっていきます。

ある朝私はぽにおにゆすり起こされます。そして寝ぼけ眼の私にマシンガンのように「ある話」をまくし立てます。…これは、本当にあのぽにおなの?私はうれしい悲鳴を上げました。

 

次回、5歳で迎えた「言葉の爆発期」の話はこちら

おまけ

3歳から始めた好きなもの探しの中で、今日までぽにおの人生に根付いているものを少し紹介します。

じゃぶじゃぶ池がある公園で水が大好きだと判明→水泳が学べる放課後等デイサービスに小1から9年間通う→バタフライが泳げるようになる

水族館で魚が大好きになる→飼育したい気持ちが芽生える→海水水槽を立ち上げてフグやカニの飼育に成功(お世話ももちろん自分でやる)

ぽにおは本当にいろんなことができる男に成長したと、感心しています。

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